【新所有者が承継する敷金(返還義務)に関する事項と売買における敷金引継】
1 新所有者が承継する敷金(返還義務)に関する事項と売買における敷金引継
対抗力のある賃借権の目的物が譲渡されると、新所有者が賃貸人たる地位を承継します。いわゆるオーナーチェンジのことです。
詳しくはこちら|対抗力のある賃借権の目的物の所有権移転と賃貸人たる地位の承継(基本)
この時に、基本的に従前の賃貸借契約に関する事項はほぼすべて承継されます。敷金に関する事項も原則として承継されますが、理論は単純ではありません。
本記事では、敷金に関する事項について、承継されるかどうかの問題を説明します。
2 敷金の法的性質(前提)
主に建物賃貸借においては、契約締結の際に、賃借人が賃貸人に、敷金(や保証金)を預ける、ということが行われています。敷金とは、賃貸借に関して賃借人が負う債務を担保するという機能を果たすものです。賃貸借契約が終了して賃借人が退去する際に(一定額が)返還されます。
理論的には、賃貸借契約と敷金契約は別個の契約です。ただし、密接に関連した2つの契約です。
詳しくはこちら|敷金の基本|法的性質・担保する負担の内容・返還のタイミング・明渡との同時履行
3 新所有者への敷金関係の承継(基本)
(1)敷金関係の承継→あり
オーナーチェンジの際は、前述のように、通常、賃貸人の地位が、旧所有者(売主)から新所有者(買主)に移転します。この時に、(別の契約である)敷金契約も、旧所有者から新所有者に承継されます。
つまり、新所有者は、賃貸人として賃料を請求できるとともに、賃借人が退去する際には敷金を返還する義務を負う、ということになります。
敷金関係の承継→あり
敷金の金額、敷金差入の事実についての新所有者の善意悪意、新所有者が旧所有者から補償を受けたかどうか、などは関係ない
※大判昭和5年7月9日
※最判平成11年3月25日(後記※1)
※大判昭和11年11月27日
※最判昭和48年2月2日
(2)承継される金額→既存滞納額の控除あり
正確には、所有者が変わる(所有権が移転する)時点で賃料の滞納があれば、強制的に敷金から充当(控除)されることになります。つまり、その時点での残額が新所有者に承継されるということです。
承継される金額→既存滞納額の控除あり
→所有者交替時において当然に清算される(差入敷金額から充当される)
=残額のみが新所有者に承継される
※大判昭和5年7月9日(競売のケース)
※大判昭和18年5月17日
※最高裁昭和39年6月19日
※最判昭和44年7月17日
(3)新所有者への敷金返還請求における立証責任→賃借人
敷金関係は新所有者が承継するので、その結果、賃貸借契約の終了の際に、賃借人は新所有者に対して資金の返還を請求することになります。その立証責任は原則どおりに請求側(賃借人)にあります。つまり賃借人が新所有者が承継した敷金について立証する必要があるのです。
新所有者への敷金返還請求における立証責任→賃借人
※大判昭和8年12月13日
4 賃貸借・敷金関係の承継を否定する「特段の事情」(平成11年最判)
(1)賃貸借・敷金関係の承継を否定する合意→否定方向
前述のように、対抗力のある賃借権が存在する場合は、賃貸借と敷金の関係が新所有者に承継されるのですが、例外もあります。判例では「特段の事情」がある場合、ということになります。
これについて、平成11年判例は、旧所有者(売主)と新所有者(買主)が、「賃貸人の地位(や敷金関係)を承継させない」と合意しただけでは、特段の事情にはあたらない、と判断しました。つまり、もっとプラスアルファの事情がないと、原則どおり、賃貸借と敷金の関係は新所有者に承継される、という結論です。
この結論だと、賃借人は(退去した時に)新所有者に対して敷金の返還を請求することになります。これに関して平成11年判例は、旧所有者に対しても敷金返還を請求できるのか、ということについて別に検討される問題である、と宣言しました。つまり否定も肯定もしなかったのです。
賃貸借・敷金関係の承継を否定する合意→否定方向(※1)
あ 対抗力ある賃借権→賃貸借・敷金関係の承継
自己の所有建物を他に賃貸して引き渡した者が右建物を第三者に譲渡して所有権を移転した場合には、特段の事情のない限り、賃貸人の地位もこれに伴って当然に右第三者に移転し、賃借人から交付されていた敷金に関する権利義務関係も右第三者に承継されると解すべきであり・・・
い 新旧所有者間の合意→特段の事情を否定
右の場合に、新旧所有者間において、従前からの賃貸借契約における賃貸人の地位を旧所有者に留保する旨を合意したとしても、これをもって直ちに前記特段の事情があるものということはできない。・・・
う 旧所有者の敷金返還義務(併存)の有無(判断なし)
もっとも、新所有者のみが敷金返還債務を履行すべきものとすると、新所有者が、無資力となった場合などには、賃借人が不利益を被ることになりかねないが、右のような場合に旧所有者に対して敷金返還債務の履行を請求することができるかどうかは、右の賃貸人の地位の移転とは別に検討されるべき問題である。
※最判平成11年3月25日
(2)「特段の事情」の内容(具体例)
平成11年最判は、「特段の事情」を認めませんでしたが、では、どういう状況があれば、「特段の事情」は認められるのでしょうか。
まず、確実なのは、(賃貸借や敷金の関係が新所有者に承継されないことを)賃借人が承認(同意)している場合です。では、「特段の事情」とは賃借人の承認だけなのか、それ以外の事情もあり得るか、ということが気になりますが、平成11年判例はどちらとも判断していないと読めます。
「特段の事情」の内容(具体例)
あ 「特段の事情」の典型例
本判決(平成11年最判)は、賃借人の利益を考慮して、特段の事情を否定したものであるから、少なくとも、「新旧所有者間において、従前からの賃貸借関係の賃貸人の地位を従前の所有者に留保する旨の合意があるほか、賃借人においても賃貸人の地位が移転しないことを承認又は容認している場合」には、地位の承継が生じないことを認めることになろう。
※小林正稿/『判例タイムズ1036号 臨時増刊 主要民事判例解説』p90〜
い 「特段の事情」が賃借人の承認に限定されるか
これ(平成11年最判)は、賃借人の承認又は容認がある場合に限ることが相当であるかどうか、検討の余地があり得るとしたものと解される。
※『判例タイムズ1001号』p77〜
5 旧所有者の敷金返還義務(併存)に関する学説
前述のように、平成11年判例は、原則として、新所有者が敷金返還義務を負う(承継する)と判断した一方で、旧所有者も敷金返還義務を負う可能性を示しました。この点について、学説としても見解が分かれています。傾向としては、旧所有者の返還義務を原則的に認める見解と、例外的に(特殊事情がある場合に)認める見解があります。
旧所有者の敷金返還義務(併存)に関する学説
あ 併存肯定説
賃貸人の債務については特約がない限り旧賃貸人が併存的に債務を負う
※鳩山秀夫『日本債権法各論(下)』p467
い 存否特定なしの見解
ア 星野英一氏見解
旧所有者に併存的債務を残しておいたらどうかと思われる問題もある
※星野英一『民法概論Ⅳ』p216
い 鈴木禄彌氏見解
信義則上、旧所有者が補充的に義務を負うことがあり得ると解すべきである
※鈴木禄彌『債権法講義3訂版』p567
※小林正稿/『判例タイムズ1036号 臨時増刊 主要民事判例解説』p90〜参照
※『判例タイムズ1001号』p77〜参照
6 敷金に関する特約→承継する
新所有者が引き継ぐのは、敷金(敷金契約)そのものだけではありません。敷金を差し入れるというような敷金に関する特約も承継します。
敷金に関する特約→承継する
あ 特約の承継
一定額の敷金を差し入れるべき特約について
→当然に新所有者に承継される
い 特約の具体例
いったん差し入れた後にも債務への充当で敷金額が減少すれば常にこれを補填すべき特約
※大判昭和18年5月17日(傍論)
7 敷金に関する登記→賃借権登記の登記事項
新所有者は敷金(返還義務)を承継します。そのため、購入する者にとって、敷金の金額はとても大きな影響が生じます。そこで、敷金は、賃借権の登記の登記事項の1つとなっています。
敷金に関する登記→賃借権登記の登記事項
賃借権登記(民法605条)における、賃料に関する事項(不動産登記法81条1号)に準じる
賃借権登記の登記事項となる
登記された範囲においてのみ新所有者を拘束する
8 賃貸中の不動産の売買における手当→敷金分の引継(控除)
前記のように、新所有者は敷金の返還義務を負うので、実際の賃貸中の建物の売買の際には、敷金の引き継ぎが行われます。単純に考えると、旧所有者が預かっていた敷金(金銭)を新所有者に渡す、ということですが、実際には売買代金から渡すべき敷金の金額を控除するということになります。
より具体的にいえば、契約書の「売買代金」として敷金控除後の金額を記載するか、「売買代金」は控除しない金額を記載して、別の確認書に、渡すべき敷金の金額を記載する、という2つの方法があります。東西(関東と関西)で主流となっている方法が異なります。
賃貸中の不動産の売買における手当→敷金分の引継(控除)
あ 負担の承継
将来、賃借人が退去する時に新所有者(買主)は敷金を返還することになる
い 敷金の引継ぎ
賃貸中の不動産の売買において
前所有者(売主)から新所有者(買主)に預かっている敷金(金銭)を引き継ぐ(渡す)
う 売買代金への反映
ア 東方式
(賃貸中の不動産の売買契約において、契約書の売買代金としての表示金額に関し)
一般に関東では承継される敷金額も含んだ金額が表示されるのに対し、
イ 西方式
関西では、承継される敷金額は表示される売買代金額に含めない扱いがなされ、残存する敷金については別途覚書で確認するとの方法がとられる。
※伊藤眞ほか著『条解 破産法 第3版』弘文堂2020年p1275
9 関連テーマ
(1)賃借権の譲渡における敷金の承継
以上の説明は所有者、つまり、賃貸人が変わったというケースでした。
一方、賃借権の譲渡、つまり賃借人が変わったというケースでは、原則として敷金関係は承継されません。
これについては別の記事で説明しています。
詳しくはこちら|賃借権の譲渡では特別の合意がないと敷金は承継されない
10 参考情報
参考情報
※我妻榮ほか著『我妻・有泉コンメンタール民法 第8版』日本評論社2022年p1303
本記事では、対抗力のある賃借権の目的物の譲渡によって新所有者が賃貸人たる地位を承継する場合に、新所有者に承継される事項のうち、敷金に関するものを説明しました。
実際には、細かい事情や主張・立証のやり方次第で結論が違ってきます。
実際に不動産の譲渡に伴う賃貸借契約に関する問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。