【建物の使用貸借の前提事情変更による解約・金銭による権利濫用阻却】
1 建物の使用貸借の前提事情変更による解約・金銭による権利濫用阻却
使用貸借契約が終了する事情は法律上決まっています。
詳しくはこちら|一般的な使用貸借契約の終了事由(期限・目的・使用収益終了・相当期間・解約申入)
法律上は、前提としてた事情が変化したというものは、使用貸借の終了の理由としては存在しません。ところが、解釈によって、このような状況で解約を認めた裁判例があります(大阪高判平成2年9月25日)。この裁判例では、解約を認めた上で、明渡請求を権利の濫用であるとして、明渡請求を否定しました。さらに、金銭の支払によって権利の濫用ではなくなるということで、結論として明渡請求を認めました。
ということで、この裁判例には、多くの場面で使える理論が盛り込まれています。本記事ではこの裁判例の解釈を紹介、説明します。
2 建物の所有と占有(要点)
この裁判例の事案の建物の状況を整理しておきます。
もともと母親と2人の子(とその妻)が建物に同居していたのですが、母親は亡くなり、その後、2人の子(つまりきょうだい)の仲が悪くなり、一方(控訴人)が建物から退去しました。
ところで、建物は退去した者(控訴人)が所有していたので、もともと、無償でY1、Y2に(一緒に)住まわせていたのです。法律的には使用貸借ということになります。
建物の所有と占有(要点)
あ 所有
所有者=控訴人(原告)
い 占有
ア 当初
母A、控訴人(Aの子)、被控訴人Y1(Aの子、控訴人の弟)、被控訴人Y2(Y1の妻)
イ 変化
Aは亡くなった、控訴人は退去した
ウ 現在
Y1、Y2
3 前提事情欠缺による解約(規範)
一般論として、使用貸借が終了する状況は法律上定められています。このケースは法律上の規定のどれにも当てはまらないので、そのままだと使用貸借は終了しないことになります。しかし無償で貸すという場合には、前提となった事情(背景・理由)があるはずです。ここで、前提となった事情に変化があった場合にも無償で貸すことを強制するのは妥当ではありません。そこで、この裁判例は、前提事情が変化した(欠缺するに至った)ことで、無償で貸すことを強制することが酷である場合には、解約できるという解釈を示しました。
前提事情欠缺による解約(規範)
あ 規範部分
建物の使用貸借において、明示の目的は単に借主がその建物に居住することであった場合でも、黙示的にその前提とした事情があり、その後その前提とした事情の全部又は重要部分が欠缺するに至り、もはや貸主に使用貸借の存続を強いることが酷と認められるときは、貸主は民法五九七条二項但書の類推適用により使用貸借を解約することができるものと解すべきである。
※大阪高判平成2年9月25日
い 補足説明
民法の平成29年改正により当時の597条2項ただし書は、現在では598条1項になっている
詳しくはこちら|一般的な使用貸借契約の終了事由(期限・目的・使用収益終了・相当期間・解約申入)
4 解約の判断(肯定)
本件の事案が、前述の解約できる状況にあてはまるかどうかの判断に進みます。
この事案では、貸主と借主がきょうだいであり、借主が母の世話をすることや、きょうだいとしての交流(誼・よしみ)が、無償で貸す前提事情となっていました。当初はこの前提事情のとおりになっていましたが、その後、母と世話に関して貸主と借主の(きょうだいの)仲が非常に悪くなりました。このような経緯から裁判所は、解約できると判断しました。実際に、貸主(控訴人)は解約の意思表示をしたので、使用貸借契約は終了することになります。
解約の判断(肯定)
あ 前提事情(判断要素)
当初は従来から親子兄弟で同一建物に住んでいたことの延長として、亡A、控訴人、被控訴人らが本件建物に居住したが、控訴人が亡Aの老後の世話につき采配を振り、被控訴人Y1及びその妻同Y2も共同して実際上の世話をするという理由に加え、さらに兄弟の誼から、被控訴人Y1も無償で居住していたこと、このことは若干のトラブルはあったものの控訴人の別居後も同様であったこと、控訴人も当時は若くて健康であったため、借家住まいにも耐えられ、母亡Aの世話をしてくれるならとの思いもあってそのまま無償で居住することを極自然な形で承認していたこと、ところが昭和五二、三年頃実際母亡Aが世話を要するようになると、被控訴人Y1及び同Y2は種々不満をもらすようになり、特にトイレ付ベッドの購入に際しては控訴人に短期間で購入することなど無理な要求をしたこと、亡A死亡前後には被控訴人Y1の妻同Y2が他人の通夜や葬儀に出席するなど情愛のこもらない態度をとったことから、一挙に控訴人は被控訴人Y1及び同Y2に対して不信感を抱き、双方別々に法要を営むなど精神的な交流は断絶するに至り、かつての兄弟の誼は地を掃ってしまったこと、一方、控訴人は後記本件使用貸借解約の意思表示の日のころにはかなりの老齢となり、健康も優れず、自己の住居は借家であって、少なくとも月額五万五〇〇〇円の家賃を支払っていたことが指摘され、これらの点を考慮すると、
い 解約の判断
ア 目的と前提の認定
本件使用貸借は、明示的には単に借主がその建物に居住することを目的とするといわざるをえないものの、黙示的には控訴人と被控訴人Y1との兄弟間の誼を基礎として、被控訴人Y1及びその家族が控訴人と協力して母の老後の扶養及び世話をすることが前提となっていたところ、
イ 前提事情の欠缺の認定
その後、被控訴人Y1とその家族は老母の世話に快く協力しなかったばかりでなく、控訴人と被控訴人Y1との兄弟としての誼も消失し、母死亡後の法要も共同でなすような雰囲気がなくなったこと、その他控訴人の年齢、健康状態、居住態様等から考えると、後記本件使用貸借解約の意思表示の日には本件使用貸借の前提たる事情はその重要部分において欠缺するに至り、もはや貸主たる控訴人に使用貸借の存続を強いることは酷といわざるをえない。
それゆえ、控訴人は被控訴人Y1に対し、民法五九七条二項但書の類推適用により、本件使用貸借を解約することができるものというべきである。
ウ 解約の意思表示
そして、控訴人が被控訴人Y1に対し昭和六二年八月一一日の本件原審第六回口頭弁論期日において本件使用貸借を解約する旨の意思表示をしたことは、弁論の全趣旨により認められる。
※大阪高判平成2年9月25日
5 「使用貸借の目的に従った使用収益の終了」による契約終了(参考)
ところで、前提とした事情が解消されたので使用貸借契約が終了する、という結論は、前述の「解約による終了」とは別に、「使用貸借の目的に従った使用収益の終了」が使われることもあります。この2つは、形式的には「解約の要否」が違いますが、実質的にはほとんど同じだといえます。
詳しくはこちら|使用貸借における目的に従った使用収益の終了の判断の実例(裁判例)
6 権利の濫用と金銭提供による濫用阻却
(1)平成2年大阪高判・850万円の支払により権利濫用阻却
前述のように、貸主(控訴人)による解約で、使用貸借契約は終了するはずなのですが、ここで権利の濫用が登場します。借主(被控訴人)は、ある程度は母の世話をしていたことや、貸主が高齢で裕福ではないといった事情から、明渡請求は権利の濫用にあたると、裁判所は判断したのです。
まだこれだけでは終わりません。最後に、850万円を支払えば権利濫用ではなくなるという結論になっています。
平成2年大阪高判・850万円の支払により権利濫用阻却
あ 権利濫用の判断
しかしながら、亡Aの死亡後未だ五年に満たないこと、亡Aの生前の世話も不満ながらも相当程度は被控訴人らにおいてもこれを行ったこと、被控訴人Y1も五六歳でそれほど裕福な生活をしているものでなく、本件建物は同被控訴人の低収入を補うに貢献していたことなど、諸般の事情を考慮して考えると、控訴人による無条件の本件建物明渡請求は信義則に反し、権利濫用となるとの誹りを免れない。
い 権利濫用阻却
しかし、以上認定の控訴人に有利な事情に併せ、控訴人が右明渡請求につき、八二五万円又は相当額の金員の支払いの意向を示しているので、この意向にそって考えるに、控訴人が八五〇万円の金員を支払うことにより、右明渡請求が権利濫用であるとの非難を免れることができるというべきである。
※大阪高判平成2年9月25日
(2)支払う金額の算定根拠
以上のように、結論として、850万円を支払えば退去させられることになったのですが、この「850万円」という金額はどこから出てきたのでしょうか。
実は、貸主(控訴人)は訴訟中に、(借主が退去したら)825万円を支払うと表明していたのです。判決では、850万円の金額の理由として、このこと(金銭支払の意向表明)しか挙げていません。表明した金額に25万円を上乗せしたことになります。
では仮に貸主が表明していた金額が500万円だったら、判決では525万円になったのでしょうか。このような疑問が残ります。
この裁判例以外にも、一定の金額の支払を条件に、明渡請求を認めるパターンの判決が出されています。このパターンの判決では毎回、支払う金額の算定方法が問題になっています。
詳しくはこちら|土地の買主による明渡請求は明渡料支払により権利濫用を避けられる
(3)金銭提供の性質(正当事由との違い)
この裁判例に出てきた850万円の支払は、理論的にどのような位置づけになるのでしょうか。それは、権利の濫用を阻却する(無効化する)ための金銭支払という性質です。
この点、建物賃貸借(借家)では、更新拒絶や解約申入の時に正当事由が必要で、正当事由の内容の1つとして立退料(明渡料)があります(法律上定められています)。この裁判例で使われた金銭支払(提供)は、正当事由の1つとしての立退料とは異なるのです。
金銭提供の性質(正当事由との違い)
あ 正当事由との違い
本判決では金銭支払(立退料)は発生した明渡請求権の濫用阻却事由として構成されているので、借家法上の正当事由の補完的な意味で用いられる立退料とは理論的位置づけが異なる。
※『判例タイムズ744号』p121〜
い 正当事由における明渡料(参考)
明渡料は正当事由の補完事由である
詳しくはこちら|賃貸建物の明渡料の金額の基本(考慮する事情・交渉での相場)
(正当事由としての)明渡料については一定の算定方法がある
詳しくはこちら|賃貸建物の明渡料の具体的な算定方法(計算式)と具体例
(5)使用貸借の終了に権利濫用を使った構造
ところで、明渡請求に権利の濫用を持ち出すのは、通常、占有権原を対抗できない関係にある者の間(の明渡請求)の事例です。
詳しくはこちら|土地・建物の明渡請求について権利濫用の判断をした裁判例(集約)
使用貸借契約の当事者間であれば、終了したかしていないかという枠組みで判断する方が分かりやすいです。
実際にこの裁判例の理論は、条文にはない解約を解釈によって作り出して、契約終了を認め、その上で権利の濫用で明渡請求を否定し、最後に、金銭の提供で権利の濫用を阻却する、という複雑な構造を使いました。
では、契約終了の枠組みだけで同じ結論を出せるかというと、ちょっと難しいです。一定の金額を支払えば契約が終了するという仕組みがないのです。前述のように、建物賃貸借であれば借地借家法(以前は借地法)にこの仕組みが用意されています。しかし、使用貸借については条文には金銭の支払がないのです。
ということを踏まえてこの裁判例を振り返ると、一定の金額の支払を条件に明渡請求を認めるという結論をとるためには権利の濫用を使う必要がある、ということに気づき、意識的に権利の濫用を介在させたようにも思えます。
本記事では、前提事情の変化による建物の使用貸借の解約や、金銭の提供による(明渡請求の)権利濫用を否定する解釈を説明しました。
実際には、個別的な事情によって、法的判断や最適な対応方法は違ってきます。
実際に不動産の明渡請求に関する問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。