【資材価格高騰と売買代金増額合意の有効性(神戸地判昭和57年7月9日)】
1 資材価格高騰と売買代金増額合意の有効性(神戸地判昭和57年7月9日)
売買契約締結後に目的物である資材の市場価格が高騰したため、代金増額の合意をしたケースについて、この増額合意の有効性を判断した裁判例(神戸地判昭和57年7月9日)があります。事情変更の原則が関係する裁判例です。本記事ではこの裁判例を説明します。
2 事案内容(時系列)
最初に事案内容を整理します。売買契約締結の後、納品よりも前にオイルショックが発生して、売主が目的物の調達をして納品すると、差額がマイナスとなる状態(逆ざや)に陥りました。そこで、すでに決まっている売買代金を増額することを要求することに至りました。買主はもちろん拒否していましたが、納品が遅れると困る事情から少なくとも形式的には増額に応じました。
その後、買主(被告)は増額は無効であると主張し、最終的に裁判所が判断することになります。
事案内容(時系列)
あ 売買契約締結
原告(売主)と被告(買主)は、汚水処理施設等一式の売買契約を締結した(当初の売買代金は1950万円)
い 増額要求の経緯
昭和48年末に発生したオイルショックにより、資材価格が高騰した
昭和49年春頃、原告はK鋼からの資材高騰による値上げ要求を受けた
原告は被告に1050万円以上の増額を要求したが、被告は応じなかった
昭和49年秋、原告はK鋼との交渉で730万円の増額で妥結した
原告は被告に770万円の増額を要求した
この増額要求も、オイルショックによる資材価格高騰が理由であった
う 被告の状況と対応
被告は、注文者(日綿)や清水建設からの工期遅延への懸念や圧力を受けていた
被告は当初、日綿との交渉結果を条件に暫定的な増額に応じる意向を示したが、原告はこれを拒否した
昭和49年10月29日、被告は無条件で770万円の増額に同意する注文書を原告に送付した
え 紛争の発生
その後、原告と被告の間で本件売買代金増額の合意の有効性について争いが生じ、訴訟に発展した
3 裁判所の判断の要点
(1)売買代金増額の合意成立
裁判所の判断のメインは後述の信義則ですが、その前提として、増額の合意は有効かどうか、という点も問題となっていました。被告はいやいや認めたという経緯がありますが、裁判所は、合意としては無条件に有効である、という判断をしました。
売買代金増額の合意成立
あ 合意→肯定
原告と被告の間で770万円の無条件の増額合意が成立したと認定した
い 条件(付き)→否定
被告の主張した条件付き合意は、原告が拒否したため成立しなかったと判断された
(2)信義則に基づく判断
この裁判例のキモは信義則(信義誠実の原則)の適用です。増額の合意自体は有効であることを前提として、合意の効力は一部だけ、つまり一部は信義則違反という理由で無効である、と判断したのです。
この無効の範囲(有効の範囲)が問題ですが、当時、行政指導として10〜15%の増額率が示されていたのです。本件の増額率は39.5%であり、この行政指導の率を大きく上回っています。裁判所は他の事情も含めて考慮して、結果的に25%アップまでは有効、それを超える部分は無効、と判断しました。
信義則に基づく判断
あ 増額合意の問題点
裁判所は、増額合意の背景に以下の問題点を指摘した
(ア)原告のK鋼との一体性(イ)増額要求の根拠が不明確(ウ)原告の利益率の大幅な上昇(エ)当時の行政指導による増額率(10~15%)と比較して著しく高い増額率(約39.5%)
い 合意の一部無効
裁判所は、合意全体を有効とすることは信義則に反すると判断した
しかし、オイルショックによる事情変更を考慮し、合意を完全に無効とはせず、一部有効とした
う 相当な増額率の判断
裁判所は、当時の状況を考慮し、最大25%(487万円)までの増額を相当とした
これを超える部分については信義則上許されないと判断した
4 裁判例の評価
この裁判例はいろいろな特徴があります。メインで使ったのは信義則ですが、その判断の中で事情変更の原則も登場しています。事情変更の原則だけに着目すると、資材の価格が高騰したから代金アップが認められたということになりますし、そのように読み取るコメントも散見しますが注意を要します。あくまでも当事者の両方が増額に合意したことが前提となっています。増額を合意していない案件に、そのままこの裁判例の処理があてはまるわけではないと思います。
裁判例の評価
あ 事情変更の原則の適用
本判決は、オイルショックによる資材価格高騰を契約後の予見し得ない事情変更として認識した
事情変更の原則に基づき、契約内容の改訂(代金増額)を一定程度認めた
い 他の裁判例との比較
事情変更の原則を適用して契約内容の改訂を認めた裁判例は多くない
土地売買契約や継続的売買契約など、類似の事案でも判断が分かれている
う 増額率の決定要因
当時の行政指導で示された増額率(10~15%)を考慮した
売主の経済的優位性を利用した便乗値上げ分を排除した
え 判決の意義
事情変更の原則を認めつつ、信義則に基づいて増額の範囲を制限するという、バランスの取れたアプローチを示した
オイルショックという特殊な経済状況下での契約改訂に関する一つの指針を提供した
5 判決文の引用
最後に、判決文を引用しておきます。
判決文の引用
一 本件売買代金増額の合意の成否
1 〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一)原告は、本件汚水処理施設等一式を訴外K鋼に代金一八七〇万円で発注していたものであるところ、昭和四九年春ころ、同社から、いわゆるオイルショックによる資材高騰を理由に、右代金を金一一一〇万円増額して金二九八〇万円に改訂しなければ工事ができない旨申入れを受けたので、被告に対し、本件売買代金を金一〇五〇万円以上増額して金三〇〇〇万円以上に改訂しなければ本件売買を辞退する旨申し入れたが、被告が応じなかつたため話はまとまらず、原告及び訴外K鋼は本件汚水処理施設等の設置工事に着手しなかつた。
(二)その後原告の担当者である課長堂面秀史及び係長香戸恒三と被告の担当者である取締役永山美明及び工事課長山口文彦の間で折衝が続けられ、同年秋になつて、原告と訴外K鋼との間の増額折衝が金七三〇万円を増額して金二六〇〇万円とすることで妥結したので、原告は、被告に対しては金七七〇万円の増額を要求することにし、被告にその旨申し入れるとともに、金七七〇万円の増額に応じなければ本件汚水処理施設等一式の設置工事はできない旨強硬に申し入れた(右の申入れの事実は当事者間に争いがない)。
(三)ところで、本件汚水処理施設等一式は、注文者訴外日綿から被告が請負つた京都グランドハイツの給排水衛生設備工事(工事代金二億八〇〇〇万円余)の一部であつたが、既に右京都グランドハイツの躯体の設計の段階で、原告の売り込みなどにより、汚水処理施設等一式は訴外K鋼の製品を用いることに決まっていて、右一式を設置すべき汚水貯水槽の躯体も訴外K鋼の製品の規模に合わせて設計されており、右京都グランドハイツの躯体工事を請負つた訴外清水建設によつて、そのころ汚水貯水槽の躯体工事は既に完了していた。
(四)従つて、被告は、本件汚水処理施設等一式については訴外K鋼の代理店である原告にこれを注文せざるを得なかつたのであり、原告から、法律的に理由があろうとなかろうと、代金増額に応じなければ本件契約から辞退する旨強硬に申し入れられた場合には、今さら他社の製品を用いようとしても、注文者の指図に反するのはもちろん、既に汚水貯水槽も完成しているため技術的にも困難であり、仮にこれが可能であるとしても、完成が著しく遅延することは必定であつたから、原告の右要求を強く拒みとおすことの非常に困難な立場にあつたのであり、またそのうえ原告は大企業である訴外K鋼の代理店として同社の経済的な力を背景にしているのに対し、被告は全く弱小企業であつたから、被告は原告に対し圧倒的に不利な立場に立たされていた。
(五)被告は、原告の増額要求に対し、右要求の増額率が甚だしく高率であつたことから、訴外日綿が将来の交渉の結果被告に対して認める前記請負代金増額率によつて、原告に対しどれだけの増額に応じるか決める旨答えて、確定的な増額金額の明示を留保していたが、そのようにして原告の要求を拒み続けるうちにも次第に工期が遅れ、昭和四九年秋には、注文者の訴外日綿や訴外清水建設から、本件汚水処理施設等一式が設置されないと関連部分の工事ができず、ひいては全体の工事にも影響が出るから、早く代金増額の問題を解決して原告に右一式を納入させるよう、きびしい督促を再三受けるようになり、なおこれ以上原告の要求を拒み、原告の右一式納入設置を遅らせた場合には、訴外日綿から工事遅延を理由に損害賠償の請求をされかねない状勢となつてきたため、金七七〇万円増額しなければ右一式の納入をしないという線から一歩も譲らない原告の強硬な態度との板ばさみになり、全くの窮地に陥つた。
(六)そこで、被告は、最終的には将来訴外日綿の代金増額率が明らかになつた段階で再度交渉のうえ確定するとの条件付きで、とりあえず暫定的に原告の増額要求に応じることとし、前記永山において、前記堂面に電話でその旨伝えたが、原告側は、被告と訴外日綿との交渉は原告には関係がないとして、そのような条件は全然認めず、あくまで無条件で金七七〇万円の増額という強硬な態度を変えなかつたので、やむなく昭和四九年一〇月二九日何らの留保ないし条件の文言の記載もない「京都グランドハイツ汚水処理施設機械電気設備工事追加金、金額七七〇万円」の本件注文書を作成し、そのころ原告に送付して差入れた(被告の作成と原告受領については当事者間に争いがない。)
2 右認定の事実によれば、本件注文書を原告が受領したとき、原、被告間に本件売買代金を金七七〇万円増額する旨の合意が成立したものと認めるべきである。
被告は、右合意は将来訴外日綿の被告に対する代金増額率が決まつた時点での再交渉によつて確定するとの条件付きの暫定的なものであつた旨主張し、被告が原告に対しそのような条件をつけるよう求めたことは、前記のとおり証拠上も認められるところであるが、原告が被告の右申入れを承諾したとの事実は、本件全証拠によつてもこれを認めることができず、かえつて前記証拠によれば、前記認定のとおり、原告がそのような条件を一切認めなかつたので、被告もやむなく無条件の本件注文書を作成せざるを得なかつたことが明らかであるから、被告の右申入れは、原告に対する単なる要望にとどまり、右合意の条件となるには至らなかつたものというべく、右の合意は無条件のものであつたとみるべきである。
二 信義則違反の成否
1 〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告の従業員香戸恒三は、当時原告の係長の肩書の名刺の外に訴外K鋼の「公害防止事業部下水処理課」の肩書の名刺も同時に使用しており、そのことからすれば、原告は形式的には訴外K鋼の販売代理店であるかも知れないが、実質的には訴外K鋼の販売部門の業務を代行するものにすぎず、同社との一体性は明白である。
(二) 原告は、金七七〇万円の増額を請求するに際し、被告に対し増額を必要とする根拠を何ら具体的に明らかにしておらず、しかも右増額要求によれば、原告の荒利益は金八〇万円から金一二〇万円に増加するのであり(右の事実は当事者間に争がない)、右の荒利益の増加がいわゆるオイルショックによる狂乱物価に便乗したものであることは明白であるから、原告の右増額要求のうち、果してどれだけがいわゆるオイルショックによる資材価額高騰の影響を実際に受けた、具体的に理由のあるものであるかは、甚だ疑わしく、そのうちには狂乱物価に便乗した何らの根拠のない部分もあるものと思われる。
(三) 原告の本件増額要求の増額率は、39.487パーセントであるが、
7,700,000÷19500000=0.39487
増額要求額 当初の代金額
これは、当時の業界における売買、請負等の代金増額紛争に際し、大阪府、大阪市等が行政指導として示した増額率が一〇ないし一五パーセントであつたことにくらべても、またその後訴外日綿の京都グランドハイツ建築工事に関し、訴外清水建設が金二億八七六〇万円、被告が金七五二七万四〇〇〇円、訴外富士電業が一五〇〇万円の増額要求をしたのに対し、訴外清水建設が金八五〇〇万円、被告が金一〇〇〇万円、訴外富士電業が金五〇〇万円の各増額を得ただけであつて、要求額に対する充足率が、ようやく訴外清水建設で29.55パーセント(85,000,000÷287,600,000=0.2955)、被告で13.28パーセント、訴外富士電業で33.33パーセントになるにすぎず、当初の代金額に対する増額率となれば、いずれも数パーセントにしかならないことからしても(被告の場合で3.57パーセントである。10,000,000÷280,000,000=0.03571)、当時ほとんど例のない、甚だ過大、苛酷な高率であり、しかも原告は、自己の右増額要求が非常に高額で例のないものであることを知悉していた。
2 右1の認定の事実及び前記第二の一の1に認定の事実ならびに第一の争いのない事実によれば、本件売買代金増額の合意は、原告が、被告に対し経済上、法律上、事実上圧倒的に優位にある立場を利し、訴外K鋼と意思を通じるとともに、いわゆるオイルショックによる狂乱物価に便乗し、原告から本件汚水処理施設等一式を買い受けざるを得ない被告の弱みにつけこみ、事情変更による解除権の行使との趣旨とは解されるが、必ずしも法律上の趣旨、根拠を明らかにすることなく、原告の要求に応じなければ「本件契約を辞退する」旨強硬に申し入れ、他方原告の右要求を拒み続けるときは、納期に遅れ注文者の訴外日綿から損害賠償請求を受けるおそれのあつた、被告の窮状に乗じて結ばれたものであり、しかも、当時の行政指導で示された一般的な増額率の四倍に近い甚だ過大で不当な高率の、被告にとつて著しく苛酷、不利益な代金増額を内容とするものであつたことが明白である。
3 従つて、本件合意は、取引における信義誠実の原則に照し、これを完全に有効なものとすることは到底許されないと考える。
しかし、他方原告も、いわゆるオイルショックによる資材価額の高騰という、本件契約後における顕著な事情が発生しているのであるから、いわゆる事情変更の原則により、資材価額の高騰による損害の公平な分担という見地からみて、信義上相当と認められる限度において、被告に対し本件売買代金の増額を請求し得べき正当な利益を有するものというべきである。
4 従つて、本件合意は、信義則上相当と認められる限度においてこれを有効とし、その限度を越える部分についてはこれを無効とするのが相当と考える。
そして、本件当時の行政指導で示された増額率が一〇ないし一五パーセントであつたこと、原告の増額請求には便乗値上げの分が含まれていることなど前記認定の諸事情を勘案すれば、本件において、いわゆるオイルショックに基因する資材価額高騰による損害の公平な分担という見地から、相当と認められる代金増額は、最大限当初の代金額の二五パーセントを限度とすべきものであり、これを越える代金増額は信義則上許されないものというべきである。
※神戸地判昭和57年7月9日
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信義誠実の原則については別の記事で説明しています。
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7 参考情報
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