【賃貸人の修繕義務の要件である「可能性」(解釈整理ノート)】
1 賃貸人の修繕義務の要件である「可能性」(解釈整理ノート)
賃貸借契約の目的物が損傷したケースでは、修繕が「必要」であり、かつ、「可能」である場合、賃貸人は修繕義務を負います。
詳しくはこちら|賃貸人の修繕義務の要件の基本(民法606条)(解釈整理ノート)
本記事では、修繕の「可能性」に関するいろいろな解釈をまとめました。
2 修繕の「可能性」の位置づけと不可能の場合の処理
(1)修繕の「可能性」の位置づけ→修繕義務と履行不能の判別
修繕の「可能性」の位置づけ→修繕義務と履行不能の判別
修繕が不可能な場合は、賃貸物の全部または一部の滅失(ないし使用不能)による履行不能の問題となり、修繕義務の問題は生じない
(2)修繕不可能ケース→当然終了または賃料減額
修繕不可能ケース→当然終了または賃料減額
あ 全部不能ケース
賃貸借は終了し、賃貸人は使用収益させる義務を免れ、賃借人は賃料支払義務を免れる
※民法616条の2
い 一部不能ケース
賃借人は、使用収益可能な部分に応じて割合的に減少した賃料支払義務を負う
※民法611条1項
賃貸借の目的物の不具合による賃料減額や契約終了については別の記事で説明しています。
詳しくはこちら|賃貸建物の使用不能による賃料減額や解除(震災・火災・新型コロナなど)
3 修繕可能性の内容→物理的・技術的可能性+経済的可能性
修繕可能性の内容→物理的・技術的可能性+経済的可能性
あ 基本
修繕可能性の判断は、物理的・技術的可能性だけでなく、経済的・取引上の観点からも判断する
※大阪地判昭和29年12月21日下民集5巻12号2078頁
※東京地判昭和41年4月8日判時460号59頁
い 経済的可能性の実質的根拠
賃貸人による修繕義務の負担は、その費用を賃料収入でまかなうことを前提としているため、賃料額に比して不相当に過大な費用を要する修繕は、当事者間の経済的公平に反する
4 建物賃貸借ケースにおける修繕可能性の判断
(1)建物の修繕不能の意味と法的扱い
建物の修繕不能の意味と法的扱い
あ 「経済的不能」の意義
建物の修繕についての「経済的不能」とは、経済上新造とほとんど同一の費用を要する場合をいう(通説)
い 破損朽廃が著しい建物
破損朽廃が著しい建物については、賃貸人の修繕義務が否定され、大修繕または取毀改築のための明渡請求が認められる傾向にある
※最判昭和29年7月9日民集8巻7号1338頁
※最判昭和35年4月26日民集14巻6号1091頁
ここで出てくる「明渡請求」とは、建物の損傷や滅失による賃貸借契約の終了(前述)や、更新拒絶や解約申入による賃貸借契約の終了を理由とするものです。建物の老朽化ケースでの更新拒絶については別の記事で説明しています。
詳しくはこちら|建物の老朽化と建物賃貸借終了の正当事由
(2)修繕義務否定・明渡請求肯定の根拠
修繕義務否定・明渡請求肯定の根拠
あ 建物効用と修繕のバランス
建物の効用が尽きる前に大修繕により効用期間の延長を図る必要があり、その必要が賃借人の利益より大きい場合、無制限に賃貸人の修繕義務を肯定するのは不合理である
※最判昭和35年4月26日民集14巻6号1091頁
い 賃借人の地位の本質
建物の朽廃により賃借人は早晩賃借権を喪失する運命にあるため、明渡を受忍すべきである
※東京地判昭和33年12月3日判時180号47頁
う 経済的合理性
修理が莫大な費用を要するわりに建物の耐用年数が延びないのに、修理によって使用が可能な限り賃貸借を継続する義務があると解するのは、賃料額との関係からも賃貸人に酷であり、改築を相当とする
※東京地判昭和35年1月30日判時215号30頁
※東京高判昭和33年6月4日東高民時報9巻6号91頁
え 修繕義務違反の影響
賃貸人の側に多少の修繕義務違反があったとしても、上記のような結論を覆すものではない
※東京地判昭和39年11月17日判時403号39頁
※東京地判昭和33年12月3日判時180号47頁
※最判昭和40年3月23日判例総覧民事編28巻651頁
(3)老朽化が著しくないケース→他の事情で判定される
老朽化が著しくないケース→他の事情で判定される
あ 明渡請求が認められるケース
建物の朽廃がさほど著しくない場合でも、他の特殊事情があれば、改築や大修繕を理由とする明渡請求が認められることがある
例=旅館としての使用目的、借地上建物で別に代替家屋の提供があることなど
※長野地飯田支判昭和33年9月4日下民集9巻9号1755頁
※東京地判昭和46年4月22日判時642号38頁
い 明渡請求が否定されるケース
朽廃に近い状態でも賃貸人が相応の規模の修繕を施せばまだ相当期間使用できる場合や、朽廃の程度が著しくない場合は、賃貸人に修繕義務があるとして明渡請求が否認されることがある
※東京地判昭和34年10月20日下民集10巻10号2203頁
※東京地判昭和33年8月9日判時163号20頁
※東京地判昭和48年2月20日判時713号87頁
(4)建物の修繕義務に関する問題点(他の見解)
建物の修繕義務に関する問題点(他の見解)
あ 判例理論への批判
家屋の耐用年数は日常の修理状況により異なるため、賃貸人が修理を怠り早期に朽廃した場合には修繕義務を認めるべきである
判例は建物の破損が甚だしく使用に著しい支障がある場合のみ修繕義務が生じるとしている
小修理も大修理も賃貸人の義務外とすると、賃貸人が修繕義務を完全に免れることになりかねない
い 朽廃・滅失による賃貸借終了の判断基準の問題
判例は「賃貸借の趣旨が達成されない程度に達したか否か」で判断するとしている
※最判昭和42年6月22日民集21・6・1468
賃借人が使用継続を望んでいる場合、賃貸借の趣旨は達成されているとも言える
通常の修繕で相当期間の効用をもつ場合は建物の朽廃を否定した判例もある
※最判昭和43年12月20日民集22・13・3033
(5)老朽化による明渡請求→工事期間中の明渡にとどめる発想
老朽化による明渡請求→工事期間中の明渡にとどめる発想
あ 一時的な明渡にとどめる発想
(建物の大修繕・大改造や改築を行うケースについて)
賃貸人にとっては工事中の一時的な明渡で足りる場合があり、賃貸借の終局的解約まで認める必要がないという見解もある
い 具体的手法→再契約の締結
(建物が朽廃に至らない段階での取毀新築や大修繕・大改造を行うケースについて)
正当事由が認められるためには、(賃貸人の自己使用の必要性立証または)従前賃借人への再賃貸契約締結が必要である
(6)正当事由と修繕義務の関係→択一関係ではない
正当事由と修繕義務の関係→択一関係ではない
あ 賃貸人側に正当事由がない場合の修繕義務
正当事由がないことで直ちに修繕義務が肯定されるわけではない
修繕義務の存否と範囲は、建物の破損朽廃の程度、その要因、賃料水準等を考慮して判断される
賃貸人に正当事由もないが修繕義務もない状態も認められる(賃借人はその状態での使用収益の継続のみを許される)
5 賃料と修繕費用のバランスによる修繕義務の制限
(1)賃料と修繕費用のバランスによる修繕義務の制限の理論
賃料と修繕費用のバランスによる修繕義務の制限の理論
あ 制限の基本的考え方
賃貸人の修繕義務は、賃借人の賃料支払義務との対応関係において認められるものであり、修繕義務が制限される場合がある
(ア)賃料の額と修繕費用とのバランスにより修繕義務の範囲が決定される(イ)賃料が不相当に低い場合、賃貸人に修繕義務を負わせることが経済上公平でないと解釈される場合がある(ウ)賃料額に照らして採算のとれないような費用の支出を要する場合には、賃貸人は修繕義務を負わない
※東京高判昭56年2月12日
い 「経済的不能」との関係
賃料と修繕費のバランスによる修繕義務の制限は、経済的不能とは異なる概念である
(経済的不能は、新造とほとんど同一の費用を要する場合に限定される(前記))
(2)賃料と修繕費用のバランスによる修繕義務の制限の具体例
賃料と修繕費用のバランスによる修繕義務の制限の具体例
あ 地代家賃統制令下のケース(参考)
修繕義務ありとした
※東京地判昭34年10月20日、大阪地判昭40年4月15日
修繕義務なしとした
※東京地判昭35年1月30日
修繕義務を軽減・限定した(多数説)
雨漏りの補修や建物の保存に必要不可欠なものなどに限定した
※大阪地判昭29年12月21日
※東京地判昭41年4月8日
※東京地判昭43年10月30日
※大阪地判昭43年12月21日
統制令施行のもとでも特段の事情がない限り606条の適用があるとした
※最判昭40年7月6日
い 一般ケース(統制令適用外)
ア 修繕義務自体の制限
賃料の額に象徴される賃借物の資本的価値と、欠陥によって賃借人が被る不便の程度との衡量によって決せられる
※東京高判昭56年2月12日
※東京高判昭33年6月4日
※東京地判昭40年6月19日
イ 信義則による制限
賃料が近隣の賃料に比し相当に低額な場合には、信義則上、賃貸人は当然には修繕義務を負わない旨の黙示の特約が認められる場合がある
※東京地判昭41年4月8日(傍論)
ウ 賃料とのバランスを考慮しない例
家屋自体の維持保存のために必要な修繕費用は、賃料がかなり低廉な場合でも賃貸人が負担すべきである
※大阪高判昭38年8月14日(台風による雨漏りの修繕費)
6 修繕が経済的不能のケースの法律関係
(1)修繕義務否定ケースの分類(前提)
修繕義務否定ケースの分類(前提)
あ 修繕の必要性なし(破損が軽微なケース)(参考)
物理的に「必要な修繕」に当たらない軽微な破損については、特段の法律的処理の問題は生じない
い 修繕の必要性ありだが経済的不能
当事者間の経済的公平への配慮のため賃貸人の修繕義務が否定される場合、その後の法律関係(実質的に負担をする者が賃借人か賃貸人か)について見解が分かれている
(2)経済的不能ケースにおける法律関係に関する見解
経済的不能ケースにおける法律関係に関する見解
あ 賃借人の負担とする見解
修繕は賃借人の義務ないし負担となる(賃借人が修繕費を支出しても必要費として償還請求できない)
い 賃貸人の負担とする見解
ア 基本的考え方
賃貸人の修繕義務排除は一般原則に対する例外的措置であるため、地代家賃統制などの特殊事情がない限り、賃借人に当然に修繕義務が転嫁されるわけではない
イ 賃料減額請求権
賃借人は、修繕がなされない結果使用収益が阻害される程度に応じて賃料の減額を主張できる
ウ 費用償還請求権
賃借人が支出した修繕費について
(ア)必要費としての償還請求(民法608条2項)は認められない(イ)賃貸物の価値増加があれば有益費としての償還請求(民法608条2項)が認められる
※大阪地判昭29年12月21日
※東京地判昭43年10月30日(傍論)
7 借地(賃貸借)ケースにおける修繕義務(概要)
借地(建物所有目的の土地賃貸借)において、地主が土地の修繕義務を負うかどうか、ということについてはいろいろな解釈があります。
詳しくはこちら|建物所有目的の賃貸借(借地)における賃貸人(地主)の修繕義務(解釈整理ノート)
8 参考情報
参考情報
我妻榮ほか著『我妻・有泉コンメンタール民法 第8版』日本評論社2022年p1305、1306
本記事では、賃貸人の修繕義務の要件について説明しました。
実際には、個別的事情により法的判断や主張として活かす方法、最適な対応方法は違ってきます。
実際に賃貸借のケースの修繕義務(不具合の発生)に関する問題に直面されている方は、みずほ中央法律事務所の弁護士による法律相談をご利用くださることをお勧めします。